3月の読書〜痴漢への社会的まなざし

12冊目、社会学の本を取り上げた。

司法とジェンダーに関わる問題を研究する牧野雅子さんの本である



牧野さんの本は2冊目。彼女の著書は、彼女の寄って立つ視点が明確で何を目指すかがとてもよくわかり、かつ共感できる。

痴漢というテーマはなかなか、カギカッコつき「男性」には煙たい排除したいテーマだろう。なんだ、大したことないよとそこを苦笑いしてやり過ごせるならとても楽かもしれない。だけれど、社会の疑問を追究しやっぱり目指したいのは正義やフェアな世界なら、これは性別にかかわらず避けるべきではない。

牧野雅子『痴漢とはなにかー被害と冤罪をめぐる社会学』エトセトラブックス、2019年

目次は次の通りである。

はじめに
1.事件としての痴漢
2.痴漢の社会史
3.痴漢冤罪と女性専用車両
おわりに

著者は元警察官。彼女自身も新人警察官時代に痴漢の被害に遭っている。

2の歴史では、読んでいて胸糞悪くなるぐらい、週刊誌などで取り上げられる痴漢ネタは、男性の欲望のはけ口で痴漢は当たり前のこととし、むしろ促すような記事の数々。これは読んでいてとても辛かった。

痴漢の多くは電車の車内で起こっている。一般に信じられているように、女性が薄着になる夏の季節に多く起こっているのではなく、むしろ一年でもっとも少ない時期になる。これは昔から警察調査でもわかっていたことだという。当然だ。被害の多い高校生は夏休みになり電車の利用が減るからだ。

女性専用車両のことについては、逆差別だという批判がされることがある。
被害にあっているのは誰なのか、それを防ぐためのかろうじての手段ではないのか。
男性も痴漢の被害に遭うことはあるが、そのことは問題にされにくく、もっぱら冤罪の被害者として登場させられる。そして全ての男性は痴漢するものというレッテルが貼られる。

3で述べられている女子高校生のケースが刺さる。
「女性専用車両という痴漢被害に遭わないためのシェルターが設けられているにもかかわらず、乗りたくても乗れない女子高校生がいる。彼女には、大人の「女性専用車両に乗ったらいいんだよ」という声よりも、同級生の男子のからかいの声や視線の方が重かった。学校を中心に回る彼女の生活世界では、同級生の視線はとても重要なことだった。シェルターが用意されているのに、それを利用させない声や視線の存在も、彼女にとっては加害そのものだ。
 別の女子高校生は、女性専用車両を利用しているところをみた同級生の男子に「お前なんか痴漢に遭うはずがない」と言われて、言い返せなかったのだという。性被害を外見の評価と結びつける論法である。彼女は、被害に遭った経験があるから、もうそれ以上遭いたくなくて、女性専用車両に乗っていた。でも、その事実を、そのまま言うことは躊躇われた。被害に遭ったことがあると言えば、その状況を語ることが要求される。性的なネタとして、性的な文脈で消費し尽くそうと待ち構えている相手に向かって、それを語らなければならなくなる。被害者に対するスティグマだって無視できない。痴漢被害が外見の評価と結びつけられることで、被害に遭えば、そればあたかも女性としての魅力を評価されたことであるかのように肯定的にねじ曲げられ、被害性が後ろに追いやられてしまう。彼女が黙るしかなかったのは、一瞬にして、そういうやり口を理解したからだ。はじめから、反論を封じ込めた上でなされる痴漢、からかい。男同士のコミュニケーションの中では、痴漢被害ですら、自分たちが盛り上がるいいネタ扱いだ。高校生ですら、そういう世界の中にいる。」(226-227頁)

そして、この本はぜひあとがきから読んでほしいと思う。

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