【徒然】新聞の取材を受けて

人に話を聞かれて、はっと、自分のやってきたこと、当時の思い出などが一瞬のうちに頭をぐるっと回ってありありとそのときの感覚を思い出す。

2月はじめから3週間以上に渡って、読売新聞社の記者Mさんから取材を受けてきました。
シリーズの特集読み物「五国に生きる」。
Mさんは、ウェブサイトで検索をしていて、AWEPの私を見つけたそうです。

なぜこのような仕事をしているのか、なにがきっかけなのか、どのような勉強をしてきたのか、今の活動への思い、将来への展望、、。
直接お会いしたのが1回、メールのやりとりが2回、電話でのインタビューが何度も。
その度に、資料をひっくり返して探したり、データの根拠を確認したり、と自分でも活動を振り返ることができいい機会になりました。
丁寧に取材していただいたMさん、ありがとうございます。有能な若い記者さんでした。

私の活動は活動仲間にはよく知っていることであっても、友人や家族など親しい人はあまり伝えていませんでした。この記事は私のことを理解するいい材料になったようです。新聞記事を読んだよと友人からメールなどが寄せられました。父はわざわざその新聞を買ってきていました。(うちは購読してなかった)

記事には私の名前が出ていますが、私はAWEPの仲間の思いを代弁しただけに過ぎません。
かっこいいとか、素晴らしいとか、えらいとか、美しく撮れてるとか(笑)、感想をいただきましたが、恥ずかしい思いです。

決して、かっこよくありません。もっとスマートにエリートに金持ちに美人になって生きていれば、、と若いころは思うことも正直ありました。成り上がり根性はかなりのものでした。
でも、私ってそうやって生きていきたいのかな?死ぬときに、よかった私。って思えるのかしらと考えたときに、そうじゃない。私は人の役に立っていきたいのだと思った。
人の役に立たないときもあるかもしれませんが、私はあなたの側にいて励ましたり、背中をさすってあげられる人でありたいと思ったのです。必要と思ってくれる人の力になりたい。それが私の力であり、喜びです。

書かれた名前を見て、神様に褒めてもらった気がしました。
記事中の写真、私はいい顔してます。(自慢。笑)


読売新聞2018年2月26日朝刊

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