【仕事】貧困支援の現場〜矛盾の中でもがく

子どもの貧困対策として「スポーツクラブ」や「塾」にいくための補助に取り組むという、一般社団法人の記事があった。法人の理事たちは、NPO業界的に著名な人ばかり。

財団からの助成金や一般から寄付を集めて、子どもたちがスポーツクラブや塾に行くためのクーポンを配布する事業を行うとのこと。

なんだかおかしい。

貧困ライン以下の子どもは16人に1人。OECD諸国の中でも非常に状況の悪い国が日本だ。その貧困の状況、そしてその問題を生み出す構造はどこなのか。クーポンで塾にいければ、いい大学に行っていい会社に入って安定した収入を得られれば、よい、のか。
その助成金は、公営ギャンブルにのめり込んだ貧困者のなけなしの金から築かれたものじゃないのか。そこに矛盾や苦しみは、支援の実践者として感じないのか。

私が理事を務めるあるNPO法人すまみらいの事務局長はこうコメントしています。
「僕のいる団体もギャンブルマネーによって成立している助成事業の援助を受けたことはあるし、現実としてそれをすべて拒否することは難しい。ただ、前述のような福祉をとりまく社会構造の矛盾に対しては、支援者として自覚的でありたいと思う。その流れそのものが、社会的弱者を際限なく生み出している構造の中にあることを、せめて苦しさや痛みを持って受け止めるべきだと思う。」


私も「社会構造の矛盾を抱えている」そうした中に、まさに私たちは現場を持っている、と念頭に置きながら、練り上げた事業なんだろうか、、、という疑問を感じます。「貧困」問題の表層だけを掬っているに(きつい言い方かもしれませんが)過ぎないのではないかだろうか。スポーツクラブや塾に通うことを補助するのが彼らに寄り添うことなんだろうか、エンパワメントなんだろうかと。また、こうした形での「貧困対策」施策も普及しつつあり、私はそこに「利権」が絡んでるだろうとも感じます。(塾業界とか)

親および子の貧困状態はさまざまな要因が絡んでおり、一概には親の状況を「変える」ことで、それぞれの「貧困」が解決するとは言えません。ただ、構造として連鎖をさせないために、軽減するために、どう社会や私たちがあるべきなのか、を共に模索し続けるしかないと考えています。
神社の境内。同じ茶色は2つとない。


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