【仕事】「誰かに話したかったんです」

相談者の方が思わず涙を見せられることがあります。

今日お受けした相談者の男性(40歳代)のお話はこんな感じでした。
「人生最後、独居の高齢者となり、すべてのことに関心を失い、そして自分を失っていく。そういう現場に出くわしたとき、自分の未来が問われているのではないかと、困惑し、途方にくれるのです。」

「自分がなぜこんな居場所づくりを始めようかと思ったかというと、自分の団地の中でのできごとがきっかけでした。ある独居高齢の男性の元へ様子を伺いにいったところ、男性が部屋の真ん中で下半身裸でパンツを手に持ち上げてつったったままだったのです。驚いてLSAに連絡をし様子をみに行ってもらったところ、4時間近く経つのにやはり私のみたままの姿で立っていたそうです。その男性は施設へ移り、間も無くなくなったのです。
そのことを数ヶ月経って、その男性のご近所の方にたまたまお話することがありました。するとその女性の方は、なぜ話してくれなかったのかと泣いてなじりました。驚いて経緯を聞くと、その女性の息子4人が子どものころその男性に世話をしてもらっていたからだそうです。その男性をやんちゃな息子たちが大変慕っていたそうです。そんなに世話になった男性が亡くなったことを知らされなかったなんて、と。」

そんな経緯があったことはまったく相談者の方は知らなかったことでした。今は個人情報保護が厳しく、同じ団地であっても公表してはならないことになっていました。相談者の方になんの落ち度もありません。

ただ相談者の方は、その下半身裸でつったっていた男性の末路を思うと、切なくてやるせなくて仕方がないのだといいます。人としての尊厳が失われていく、そして孤独、誰にも看取られない、死。

こんな話はごく一例です。一人暮らしの高齢者、親に先立たれた障害者、母子家庭、事情がよくわからない方、戸口を固く閉ざす家。今日本社会の課題が凝縮したような状況を背負った公営団地の現状の話でした。こんな話を誰にもできない。自分すらそうした未来が待ち受けているのではないか。他人事ではなく、私ごとになってきたとき、相談者の方は立ち上がったのです。

相談者の男性はコミュニティの居場所、再び繋がりあう場所を作ろうと活動しています。食事やお茶を飲みながら映画を見たり、音楽を聴いたり、落語を楽しんだりと、そうした場をつくることで、壁を少しでも乗り越えていきたいと考えています。

団地の高齢化率は7割、そのうちの8割が独居。母子家庭が60世帯、障害者のいる家庭が30はある。そんな団地で自助、共助といってもどうにもならない。

私の仕事は、外部の人々、市民の支援をつなぎ、それを促進(応援)すること。社会の問題をその人たちのことと、看過させないことです。行政にできることは限界があり、職員の能力も限られています。残念なことですが。だけどそれを放置しないこと。社会の真ん中に持っていってみんなで知恵を絞りませんか、と訴えかける(まさにアドボカシー)。

うまくいくかどうか、わかりません。だけれど諦めない。それがNPO支援のプロの姿勢。

相談者の方の涙を忘れません。


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